吾妻の旅
 平成十八年十月十五日

−其の壱−

 9月23日の朝、いつも見ている群馬TVの天気予報を見ようとチャンネルを合わせると、祝日のために違う番組を放映していました。そこで良い情報をゲット。
中之条町で真田関係の企画展をやるというのですよ!
 中之条町歴史民俗資料館は、真田関係の展示もあるというので行ってみたかった所。そこに、この企画展では、
群馬県在住の真田ファンが行かないでどうする!というカンジですよね。(笑)
 咄嗟のことだったので日程もハッキリとはわからなかったのですが、その日からネットで検索しまくり、日程や展示物についての情報を発見。そして、松代真田まつりが終わった後、そろそろもっと詳細な情報があるかと思い、吾妻郡関係のHPを見ていましたら、
企画展開催2日目に東吾妻町で真田サミットが行われるというではありませんか!
 15日に行けば、両方見られてまさに一石二鳥。ということで、初めは初日14日に行こうかと思っていた吾妻行きを15日に変更しました。

 いつもの駅から高崎に向います。
 中之条へ行くには高崎で吾妻線に乗り換えになるのですが、高崎での待ち合わせが30分ほどあります。ホームで待っていてもつまらないので、高崎駅で旅行パンフレットでも漁ろうかと思い、中之条まで1,110円の切符ではなく、高崎まで320円の切符にしました。
 パンフを漁って中之条までの切符を買うと740円。高崎までを合わせて、1,060円でした。
 
あれ?何で一括で買うのよりも安いの?普通は、一括で買った方が安いですよね。館林に行った時には、帰りに太田に寄ったら100円以上高かったぞ?
 まあ、安かったんだし、いいか。(笑)

 高崎で乗り換えた吾妻線は、渋川までは沼田方面へ向う上越線と同じルートを走ります。渋川から直進するのが上越線、左折するのが吾妻線ですね。

 渋川を過ぎると、車窓からの風景は何となく山里の趣が出てきます。
 写真は、渋川から2つ目の祖母島(うばしま)駅から見た風景。駅が高いところにあるため、とても見晴らしが良かったです。
 こういう田園風景、好きだな〜
 私は田舎で生まれ育ちましたが、平地なのですぐ近くに山が見える風景には憧れますね。

 子供の頃には何度か家族で草津温泉に旅行していますので吾妻線に乗るのは初めてではありません。でも、大昔のことなので、旅行のことは覚えていても、電車の記憶はほとんどなし。(汗)
 ということで、初めて乗る感覚で車窓の風景を楽しみました。遠くの山、近くの山、奇岩の山、長閑な山里・・・と変化に富んだ風景で、とても楽しかったです。

 中之条駅に到着して、まず目指すのは林昌寺。 このお寺は、平安時代に創建され戦国に荒廃していたものを、真田氏初代幸隆公の次弟・矢沢頼綱公が再建したものです。
 何度か移転しているようですが、沼田真田氏に手厚く保護されていたそうです。

 地図を頼りに歩いていると、六文銭が目に入りました。
 これだけでも嬉しくなって撮影してしまうあたり、
ファン心理というものは単純ですね。私だけか?(笑)

 私が持って行った地図では、林昌寺の位置はわかっても、どこから入るのかわかりません。なので、地図上で近いと思われる道を歩きました。

 
・・・間違ってたよ・・・(汗)
 確かに、お寺はすぐそこに見えるのです。ただ、入口がわからないだけ。
 結局、本堂の裏手にある墓地から林昌寺に入りました。小渕元総理のお墓が目立っていましたねえ・・・

 写真は、うっかり上ってしまった坂の途中にあった建物。良い風情ですね。

 林昌寺本堂。この本堂左側の奥の墓地から入ってきました。
 この写真では見えませんが、屋根には真田氏&矢澤氏の六文銭紋が付いていました。

 お寺や神社へ行く時には、まずお参りをするようにしているのですが、お賽銭箱が外にありません。引き戸の鍵はかかっていなかったので、中に入ってお参りさせて頂きました。

 本堂内部は、赤地に白の六文銭紋の入った幕と極彩色の唐獅子牡丹や龍の彫刻があり、なかなかゴージャスでした。

 林昌寺の門の脇には、中之条町指定天然記念物の大きな枝垂桜の木があります。桜の季節には、キレイなんでしょうね。一度見てみたいな。
 でも、桜の季節って、
休みの度におまつり追っかけで、余裕がないんですよねえ・・・金銭的にも。(汗)
 この桜が天然記念物に指定された3月26日は、私の誕生日ですよ!もちろん、年は違う(昭和63年指定)のですが、なんとなく嬉しい。

■林昌寺の板碑・しだれ桜■
 曹洞宗宝満山林昌寺(箕郷町富岡の長純寺末寺)は、平安時代に僧長馨によって創建された天台宗の寺であった。戦国時代、荒廃した寺が、吾妻地方に進出した武田氏の家臣で真田幸隆の弟矢沢薩摩守頼綱によって再建され、河原町、長岡を経て、現在地に移っている。この地方の領主真田昌幸より、六連銭の寺紋と改修の資金を与えられ、以後信之・信吉・信政など沼田真田氏の保護の下に寺勢を伸ばした。
 寺の什物である文永八(1271)年ニ月銘の弥陀一尊画像板碑は、天蓋、瓔珞の下に阿弥陀如来の立像を陰刻し、踏み割蓮華座の下に年号と花瓶一対をつけている。
 寺は、中之条と伊勢町を結ぶ境端の北の段丘上にあり、境内のしだれ桜の古木によって桜の名所となっている。本堂・庫裏の大伽藍と、元文年間建立の山門、貞享元(1684)年建立の鐘楼が満開のしだれ桜によく調和している。
 境内に、戦争協力によって公職追放になった人たちの「おろかものの碑」、元禄十五(1702)年の層塔、高遠の石工による宝篋印塔、勝軍地蔵・弁財天・六地蔵などの石仏があり、墓地には和算の本田半平墓碑をはじめ、鐘楼を寄進した二宮家、代官根岸家など有力町衆の墓地が並んでいる。
(林昌寺の案内板より)

 上記の文中にある板碑、建物の中にあるのか外にあるのかわかりませんでした。(汗)
もっと下調べをしておくべきでした・・・

 上の門を入った右側にある石の六地蔵。これを見た時には、かなり傷んでいるように思ったのですが、中之条町歴史民俗資料館の展示物の中に、この地蔵が壊されて積まれている写真がありました。明治時代の廃仏毀釈で破壊されてしまったんだそうです。
 当時それを推進した人たちは何か思うところがあってやったのでしょうが、現代の私には「バチ当たりなことをした」としか思えません。

 右の写真は、『おろかもの之碑』。山門の左側にあります。ここには詳しい説明が書かれた案内板のようなものはないのですが、しばらく前に読んだ『群馬県人』(萩原進著・信人物往来社)に載っていました。

 その本によりますと、これを建立したのは『吾妻会』という第二次世界大戦中の町村長や翼賛壮年団など地方の指導者で、終戦後にマッカーサーの命によって公職追放された方たちの集まりなんだそうです。
 後に追放解除になり、会も解散となったときに記念碑を建てようということになり、この『おろかもの之碑』が建てられました。
 本文から少々引用させて頂きます。

   われわれは愚直であった、
   馬鹿正直であったという深い反省から
   「おろかもの之碑」という題字の碑を建てた。

   費用を出して自らを愚か者として公然と碑を建てたところに、
   群馬県人の真骨頂が見られる。

 群馬県人にとって、『愚直』というのは褒め言葉ではないにしても、馬鹿にしている言葉でもないんですよね。
「『愚直』で何が悪い。人を騙すのならば、騙されるほうがマシだ」という考え方。ちょっと自嘲・自虐が入っている気もするし、反骨精神も垣間見える。それが群馬県人なのかな。

 下の写真は、参道両脇に向かい合っている石造。三途の川を渡る亡者の衣類を剥ぐという奪衣婆と閻魔大王もしくは冥府十王のどなたかではないかと思われます。

       

 林昌寺だけで、こんなに長くなってしまいましたね。(汗)
 この後は、今回のメイン・中之条町歴史民俗博物館へ向います。

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