−其の四−

 群馬原町駅まで戻り、線路沿いの細い道を歩きます。線路の周囲には、野菊やススキなどの秋の花が咲いていました。

   

 この辺りから見えるアヤシイ白亜のお城(笑)が、今回の真田サミット開催の『岩櫃ふれあいの郷』、別名『岩櫃城温泉』です。

 『岩櫃ふれあいの郷』は総称で、温泉のあるところは『くつろぎの館』(本来はここが岩櫃城温泉ですね)、福祉センター『やすらぎの館』、健康増進センター『であいの館』、コンベンションホール『ふれあいの館』に分かれています。
 真田サミット会場は、向って左側のコンベンションホールでした。

 岩櫃城は山城ですし、慶長18年(1613年)に廃城になっているので、
こんな白亜の城はありえませんよね。(笑)
 ちなみに、岩櫃城温泉から岩櫃山は見えません。手前にある山に隠れてしまいます。

 岩櫃城跡の保存には色々と問題があるようで、城跡を保存・整備・復元をしようという動きもあったそうですが、この岩櫃城温泉が建てられたことにより、
「遺跡としての岩櫃城の復元は必要が無くなった」という意見も出たそうです。
(群馬歴史散歩 1998年 第146号 岩櫃城跡保存整備の現状と課題 参照)
 
そういうモンじゃないだろ?とツッコミたくなるお話ですね。
 あまり整備されて欲しくはないけれど、現状で保存して欲しいなあ・・・手を入れすぎると、戦国時代の雰囲気を損なってしまいそうで。

 まだサミット開催までは時間があるので、近くの善導寺へ行ってみました。館林の榊原康政公のお墓のあったお寺と同じ名前ですね。

 室町時代初期に地元の豪族だった吾妻太郎により創建されたお寺です。嵩山城・岩櫃城の城主だった斎藤氏のご先祖さまですね。
 明るく広い境内の美しいお寺なのですが、ここには、祟りの伝説があるそうです。

 幸隆公が信玄公の命によって上州の城を攻めていた頃、当時の岩櫃城主・斎藤越前守憲広公の家臣が武田方に寝返ろうとの密談をしたのが、この善導寺でした。
 そのため、このお寺は憲広公の祟りによって、何度再建しても本堂が燃えてしまうので、長い間本堂はなかったのだそうです。


 現在は立派な本堂が建っていますので、憲広公の祟りも消滅したのでしょうか。

 ここを見てもまだ時間がありました。吾妻線がもっと本数があれば、隣の郷原駅まで行って岩櫃山を眺められたのになあ・・・1時間に1本ないんだもの。(涙)

 そろそろ正午ということで、岩櫃城温泉近くのBeisiaで軽く昼食。と言っても、いつも通りポテトとコーラのみですが。(笑)

 岩櫃城温泉の入口には、こんな幟と看板が立てられていました。幟には、地色より少し薄い色で六文銭紋が入っています。

    
   

 コンベンションホールの前には、真田サミットに参加している宮城県白石市・和歌山県九度山町・長野県上田市・群馬県沼田市の特産品を販売するコーナーがありました。
 ここに出店しているところは、
全部行ったことがあります。(笑)
 白石も九度山も、行ったのは10年くらい前ですので、ちょっと懐かしかったです。また行きたいなあ・・・

 荷物になるので、お土産は帰る時に買うことにして、コンベンションホールに入りました。

 コンベンションホール2階の受付では、プログラムや抽選券を頂きました。
 抽選券の番号は『8』。随分と早かったようです。(笑)でも、
抽選会の時間(17:00〜)まではいられないんですよねえ・・・(涙)

 ここで、真田サミットに参加している市町村を簡単に紹介します。サミット参加の12市町村のうち、9市町村には行ったことがありますので、小さくて見づらいかもしれませんが写真を付けてみました。

■秋田県由利本荘市(旧岩城町)
 幸村公の五女・なほ(御田姫・お田の方)が嫁いだ岩城宣隆公の亀田城のあったところ。
 なほは大名夫人としては珍しく、子供たちを自らの手で厳格に育て、賢母として讃えられました。

■宮城県白石市(写真:白石城復元三階櫓)
 幸村公の三女・梅が嫁いだ片倉重綱(重長)公の白石城のあったところ。
 梅の弟妹数人も、白石城で養育されたと伝わっており、そのうちの次男・大八の家は、仙台真田家として健在です。敵将の子女を匿うことは重綱公の一存でできることではないので、主の政宗公に感謝しなくてはなりませんね。

■群馬県沼田市(写真:沼田城本丸跡)
 真田氏の利根地方の拠点となった沼田城のあったところ。
 昌幸公が攻略して以来、何度か他家の手に渡っているものの約100年に渡って真田氏が治めましたが、五代藩主・伊賀守信利(信澄とも)に時代に改易となりました。

■群馬県みなかみ町(写真:名胡桃城本丸跡)
 昌幸公配下の鈴木忠則公が城代となっていた名胡桃城のあったところ。
 慶長18年(1590年)の小田原北条氏征伐の原因は、当時の北条氏配下の沼田城代が、豊臣秀吉公の関東惣無事例に反して、この名胡桃城を攻めたことでした。

■群馬県中之条町(写真:林昌寺山門)
 幸隆公が攻めた嵩山城(嶽山城・岳山城・武山城)があったところ。
 真田氏に仕えた上州の忍びには、この町出身の人物が多かったようです。町内には林昌寺や日向見薬師堂など真田関係の史跡も多く、歴史民俗資料館にも真田関係資料が多く展示されています。

■群馬県東吾妻町(写真:顕徳寺本堂)
 真田氏の吾妻地方の拠点だった岩櫃城があったところ。
 岩櫃城は天然の要害でるうえ、上州沼田と信州真田・上田を繋ぐ『真田道』の中間地点にあたり、真田氏にとっては特に重要な城として位置づけられていました。

■群馬県長野原町
 幸隆公の弟・隆永(隆家)公が討死した長野原城のあったところ。
 天文10年(1541年)に幸隆公が故郷の小県郡を追われた時に身を寄せたという、海野氏の一族・羽尾氏の羽根尾城もこの町にあります。

■群馬県嬬恋村
 真田氏と同族の鎌原氏の鎌原城があったところ。
 鎌原氏は近隣の羽尾氏と諍いがあり、幸隆公を頼って武田氏に臣従しました。これが、武田氏による吾妻進出のきっかけになったという説もあるようです。

■長野県上田市(写真:上田城南櫓)
 2度の徳川軍の攻撃にも落ちなかった上田城のあるところ。
 今年の合併した旧真田町は『真田氏発祥の地』として知られ、真田関係史跡が点在しています。真田氏が上田城主だったのは40年ほどなのですが、いまだに『上田』と言えば『真田』ですね。

■長野県長野市(写真:松代城復元太鼓門)
 信之公が上田から移封された松代城のあったところ。
 江戸初期から幕末まで10大200年以上に渡って真田氏が治め、現在でも城下町の風情が色濃く残っています。近年整備・復元された城は、桜の名所として知られています。

■大阪府大阪市(写真:大阪城復元天守閣)
 豊臣秀頼公の招きに応じた幸村公が活躍した大坂城のあったところ。
 豊臣秀吉公が築城した大坂城(現在は大阪城)周辺には、真田丸跡・宰相山公園・安居神社など、大坂冬・夏の陣で奮戦した幸村公関係の史跡が数多くあります。

■和歌山県九度山町(写真:真田庵)
 関が原合戦後に、西軍に与した昌幸公・幸村公が蟄居したところ。
 昌幸公の屋敷跡だったと伝わる真田庵(善名称院)には、昌幸公を祀る地主権現や、昌幸公・幸村公の遺品を展示する資料館があり、庭園には昌幸公が好きだったという牡丹が植えられています。

 行ったことがないのは、由利本荘市と長野原町・嬬恋村だけです。
群馬に住んでいながら、群馬県内2箇所に行っていないというのはどうよ?この中ではマイナーだと思われる白石や、かなり遠い大阪・九度山には行っているというのに。
 すみません。電車愛用者なので、県内の史跡は行きづらいのです。(汗)
 12市町村中6つが群馬県なのね。群馬県の真田領は広いですからねえ・・・

 受付の近くには、参加市町村のパンフレットが沢山置いてありましたので、全て頂いて参りました。これも旅の楽しみ。自分へのお土産です。

 写真は、中之条町歴史民俗資料館で購入した本を含めた、今回の戦利品。全部で厚さ2cmくらいあります。(笑)

 ここで頂いたパンフの中に、気になる記事がありました。
 幸村公の娘が嫁いだ白石城の城域にある『白石城歴史探訪ミュージアム』の立体ハイビジョン・シアターで、『大坂夏の陣秘話 鬼小十郎帰るに及ばず』というものを上映しているそうです。
 主役は、二代目片倉小十郎で、多分幸村公の娘の梅を大坂城から連れて帰るお話ではないかと思われます。

 
10年ほど前に行った時には、そんなのなかったよ。あったのは、幕末の『奥州越列藩同盟秘話 賊にはあらず』だけでした。一応は見たものの、幕末の事件や人物には疎いので、あまり覚えていません。
 青と赤のメガネのようなものをつけて見ると、画面から飛び出して見える・・・というものなので、
槍か刀を持った人が突進して来るたびに、前の人が上体を動かして避けていたのには笑えましたな。

 どうせなら、『大坂夏の陣秘話 鬼小十郎帰るに及ばず』の方が見たかった・・・このパンフを見て、また白石に行きたくなっちゃいましたよ。歴史に興味のない友人と一緒だったので、幸村公や梅・大八関係の史跡にもほとんど行けなかったし・・・
 この『小十郎・・・』の出演者のところには渡辺謙さんの名前があるのですが、やはり伊達政宗公役でしょうか。ますます見たくなってしまいますね。

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